まず平和に行こうよ。それだけは忘れないでいきたい。よくわからないんだけどブッダってなんだかんだ長生きしたじゃない? イエスは磔だよ。でもさ、どのみちブッダもイエスも平和に布教が進んだんわけじゃないんじゃないの? 恥ずかしくも何ともないから間違ってたら教えてくれ。敵もいたし迫害もされたし、宗教の名の下に殺戮もしたんじゃないの?
教会に行って心は洗われた。賛美歌は綺麗だ。崇高だ。でも宗教って恐ろしくない?
これからも教会には行き続けるけど、その矛盾は一生抱えて行かなきゃならないのかな。
あと今自分が行ってる教会が好きなところは「兄弟姉妹」って呼びかけてくれるところなんだ。兄弟って漢字だと男だけじゃん。ダメだろ。まあキリスト教も調べたら枝分かれが激しくてよくわからないんだけど。結局それだとスピリチュアルな方へ行ってフワフワなものに取り込まれそうででも、私が好きなスピリチュアルの人はお堅い感じだけどね。新しいスピリチュアルの流れが好きな人も流れだから別にいいよ。押しつけられさえしなければ尊重さえできれば、お互いにさ。今のスピリチュアルだってあと200年したらどう感じるかは200年後の個々人しかわからないしね。でも歴史のある宗教は確かに重みがあって長い年月かけていらないとこを削ぎ落とした感あって言葉が鋭い。それは今私が波長、周波数みたいのが、言葉に合ってるだけで、そのうち合わなくなって、違うものを求め出すかもしれない。それもいいじゃないか。別にええじゃないか。そうやって巡り巡って人生を終えたい。わからないまま死んでいいじゃないか。ブッダやイエスも不完全なまま死んだんじゃないのか。一応ブッダは悟ったとは知ってはいるが満足して死ねたのか悟った後の人生虚しくなかったのか。生きたブッダやキリストもちっぽけな人間だったんじゃないのかな、私と同じように。
最近聴いたエミネムの曲。
生きてることに感謝して星を見ていたほうがいい、みたいな歌詞があって、エミネムはすごい好きなんだ。乱暴者でヤバい人!危険人物!みたいな危うさあるけど差別に怒る人だし、私は好きなんだよ。ちょっと恋人とかだったら怖いかもしれないけど、ブチ切れてるだけの人じゃないよ、多分。むしろ差別されてブチ切れて何が悪い。怒らずに死ねというのか。
私も怖い時はたくさんある、ずっと怖い。
youtu.be訳詞にハマれたからこの訳詞の動画がいい。もう一つライブの訳詞動画もあったけどなんか微妙だった。多分こっちはプロじゃない人が訳してるのかもしれないけど、でもこっちが好きかな。自分にはマッチする。