「ボンクラ少女」から「ボンクラ女子」になり「ボンクラ女」に繰り上がってきたが「ボンクラ女子」だった頃暇だった。何もすることはなかった。誰とも交わらず友だちもいない苦悩だけが頭を渦巻いていた。私はその頃苦悩を吹っ飛ばすために軽めの本を読んだりした。赤川次郎とか氷室冴子、阿刀田高など。難しい本は今でも苦手だけど、暇だからこれからは発狂死したというニーチェとかを読んで暇を潰してみたい。
ボンクラ女子は熱中できることが欲しかったので20代の頃はナンプレとジグゾーパズルばかりしていた。それがボンクラの考える身近な娯楽だった。家(実家)にパソコンが来てからはパソコンばかりするようになった。夜中にするチャットはどこかの誰かと繋がっている不思議な体験だったがそれも慣れてしまいネット中毒になった。
気分が荒れ親と喧嘩し大量に薬を飲んで死のうとして死にきれず何故か右足に後遺症を残した。
誰もいないところで死にたいと精神病院から売店に行く日を狙いカミソリを買ってそのまま病院を抜け出し近所のラブホテルで手首を切ったが発見され手首を縫われて終わった。
それ以来、大きな自殺未遂はしていない。
ボンクラがボンクラであるために、ポンコツがポンコツであるために逃れられないことがあるなら諦めるしかない。入退院を繰り返しながら計20年ドタバタやっていた。
かつてのボンクラ女子はもう大人年齢になり余計今までやってきたことに後悔しかない。何故もっと早く立ち直れなかったのか。今だって立ち直ってない、無駄にしてきたように思える時間はもう取り戻せない。これからも生き続けなければいけないのが辛い。終わりにしたい気持ちを押し殺しても滲み出る。
ボンクラ女としてそれでも生きるのか。これから何か希望があるのか。ないように思える。20歳までの虚無の中、それから後約20年暴風雨の中にも何もなかった。この虚しさをなんと言い表せばいい。少しずつ風が収まり働いてみたらとんでもないところで結局生活保護に落ち着いた。抜けれるかどうかはわからない。もう気持ちに力が入らないとしか言いようがない。
自分だって何かできたはずだ。失敗は怖いけど何かやって失敗したのなら挑戦者の称号がもらえる。私は何もできなかった。ただ時間を食っただけ。時が過ぎた。何もない。この虚しさをなんとする。
結果的にメンヘラなんだがその前にボンクラをこじらせたと言うにつきる。それはもう修正しようがない。
人生は1本道、これから歩む道はわからないけど過去には戻れない。やり直しはきかない。ここから新しくやるしかないんだ。過去は変えられない、背負うしかない。未来を変えることもできない。未来も決まってるように思う。悲観的になるのでなく宿命のようなものがあるなら受け入れる。幸せになろうとは思うけどなれなくても受け入れる。
そう思わなければ生きてはいけない。