ひきこもりポンコツメンヘラ

ひきこもりの生活保護受給者の日常。アパートの一室から呼びかけています。生活の記録。実況中継。自分語り。統合失調感情障害。

人間放棄✿人生獲得
休憩逃走中
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「物語」を背負って生きる

精神病者(メンヘラ)は物語を背負いすぎだという記事を読みました。はてなブログの方なので言及したほうがいいのかと考えたんですが割と前の記事なのと私がヘタレなので。それと立場の違いから私も激怒してしまって結果、相手に迷惑をかけてしまいそうだから...

 

確かにメンヘラは物語を背負い込んでるのかもしれません。

物語という妄想ですかね。

私が昔知り合った女子は有名ロックバンドのボーカルとメール交換で知り合い、メールでだけだけど恋愛関係にあると言っていました。そんなの嘘でしょ?と思ったけど言わなかった。1%の可能性もないとはいいきれないし、作り話と思えないほど真に迫っていたけど、作り話だとしてもその中で生きてるんだなと思い、単純に嘘でしょと言葉にするのはやめた。

何か辛いことがあってそこから逃げるために想像の友達を作ったり、居心地のいい部屋を頭の中に作るのは罪作りなことだろうか。現実から逃げたい、逃げてはダメなんだろうか。心地いい空想こそが逃げ場になる。

 

解離性同一性障害という病状があるそうだけど私自身その状態の人にはあったことはない。すれ違ったことがあっても話さず交流がなかっただけかもしれない。昔だと多重人格と呼ばれていたらしいけど勉強不足でよく分からない。反省中...

病状としての解離性同一性障害とは別に思うけど、自分は〇〇国の王子や姫だけど事情があって隠されている、みたいな話をどうしても私は笑えない。

私も何となくそんなことを思っていたことがある。それがないと自分が守れなかった。程度の差はあっても人は守りに入る生き物だと思うし、ひどい目にあってきた事実を受け入れられず空想、想像が行き過ぎて妄想になってしまうこともあると思う。 逃げ道としての思考が快適な居場所になる。

 

これは私だけの考えだけど、妄想は薬で治るのだろうか。医者は薬を出すのが仕事でいちいち患者の深い悩みまで聞いてはいられないみたいだし薬を出すしかないのだと私は諦めの境地だ。自分で作り上げた物語にはまってるとき私の薬はバンバン増えた。例え「そんなことはないと思う、あなたの考えは間違ってる」と医師に言われてももうこちらとしても修正不能なのだった。

 

それでも私の物語は落ち着いた。薬のおかげでではない。私は極端な薬否定はしないけど「物語」の件については薬が治してくれたとは思えない。 私なりの格闘が平静を取り戻したと思ってる。

 

物語を背負う=妄想だとして、妄想の中でしか生きられない悲しさに涙が出そうになるのは私だけなのだろうか。

 

ロックバンドのボーカルとメールで恋愛してた子は(もういい大人だろう)元気だろうか。

 

病気に興味がない人にとっては妄想だの物語だの何のこっちゃって感じかもだが。

森田童子の歌に「行ったことのないメキシコの話を薬が回ってくるとする」男の話(歌詞)があるけど心が痛む歌詞だなと思う。

人は簡単に笑うけど物語の中でしか生きられない精神病者はどうしたらいいのだろうか。

 

 

 

今の私の立場で今の気持ちを、まとまらないけれど、そのまま書きました。抽象的でよく分からないと思います。

 

私も物語(妄想)の中で生きてきて、これからもそこから卒業するのは難しく思えます。

それも受け入れるしかないのです。自分の性質、細胞までは変えられない。こういう細胞の自分だからしょうがない。薬でイライラを抑えることはできても細胞まで変えられないし、変えられてはたまらない!

私は根本から感じ方まで変えてしまう薬があるとしたらそれは使いたくないなと思う。楽になれる薬があるなら自分で選ばせてほしい。そうでなければ人格破壊につながる、今薬を飲んでるからこそ言いたいことなのですが。

 

メンヘラ同士も殴り合うんですよね。違いが許せなかったり嫉妬や羨望もある。「あの人は〇〇をもっている」とか... 弱者同士の争いとか殴り合いはキツいけれど生きた人間同士争えるうちが人生という気もしないわけではなく、ただ致命傷になる命を落とすような争いはやめて欲しいと願います。

今まで助けてくれた人、心配してくれた人に不義理をかなりしてきた気がして、どう恩を返したらいいのだろう。

 

私はまだ物語の中でもがいています。

 

 

 

 

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