ひきこもりポンコツメンヘラ

ひきこもりの生活保護受給者の日常。アパートの一室から呼びかけています。生活の記録。実況中継。自分語り。統合失調感情障害。

人間放棄✿人生獲得
休憩逃走中
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消滅するより恨みたい

勉強の機会を奪われてきたような気がしている人間にとって勉強というのは敷居が高い。被害者意識かもしれないが根は深いものがある。

それは「自分だってやればできたかもしれない」という諦めができない。

機会平等でないのもスタートラインにすら立たせてもらえないのも本人の責任ではない。

「やればできた、やれなかったのは自分の責任ではない」という気持ちを抱えきれなくなれば爆発するか、もしくは消滅することで魂を消すしかない。

 

はてなブログの人じゃないから言及は無理なんだけど(もうリンクもわからない)「低学歴の人への偏見もやめるから高学歴への偏見もやめてほしい」という誠実なんだか、よくわからないなという文章を読んだことがある。高学歴のその人の書いてることは色々勉強になり納得もできるのだけど偏見をやめるとかいう問題じゃなくて「(低学歴)差別をやめよう」となぜならないのかという気持ちになった。その人には偏見はダメだけど差別はしょうがないと思えるのかなと私は感じた。

 

スタートラインが限りなく公平になっても差は生まれるし仕事などの椅子取りゲームは、どんなに公平な社会になっても続くと思う。

むしろ公平な社会になってしまったら、本当に能力のない人間は本気で不要とされ世の中を恨むことさえできなくなるんじゃないかと思う。

無能認定されたら消滅させられてしまうよ?

ベーシックインカムは素晴らしいと思うけど生活保護受給してる身からすると生活保護でよくないか?と思う。

今の段階でいって生活保護が異常に受けにくい制度であることの方がヤバいだろ。

 

生活保護が決定するまで財布に50円程しかなく部屋で米を炊きシーチキンだけで食べていた。それでも死ぬよりは贅沢だと思った。米とシーチキンはあったから私は生き延びれた。ありがたいと思ってる。

 

「いくら財布にはいってますか?」と役所の人に聞かれて見栄で「200円程です」と答えたからといって役所の人はなんとかしてくれはしない。社協というところに申し込んで3万円借りれるまでが50円程だった。その3万円も日曜日を挟んだりでなかなか振り込まれなかった。休みを挟むので申し訳ありませんが、と社協の人は謝ってくれたけど社協の人だって何かしてくれるわけではない。期待するのも変だけど謝られても実際どうにもならない。

 

そんな私もスマホでブログ書いてんだから恵まれてると思ってる。スマホ代は極力抑えたいし節約術は学び倒したいと思っている。

 

消滅するより恨みたい。

負の感情ばかりではよくないのはわかってるけど感情を抹殺することなんてできないし痛いと思うのも生きてる証ではないかな。ただ生きればいいというものではない。喜びの感覚が欲しい。精神の荒れは感覚を殺す。

 

生活保護や障害者運動のことなど学びたいと思う。

しかし勉強の敷居は高い。〇〇カフェとか〇〇勉強会とかあるけど壁が厚い。勉強という言葉にもう抵抗があるんだけど学ぶことは大事だと思う。

だけど学ばなくても生きていいし、だらしなくても、考えなくても、無能でも生きていいだろ。だけど痛みも感じない人間は実際いないはずだ。

殴られて痛くない人間はいない。痛いから涙も出る。涙を流さない人間がいるものか。

 

やっぱりこんなこと書いたら僻みだ妬みだって嫌われるよな。

へへへ... 

 

最後は笑ってオチは作りません。