ひきこもりポンコツメンヘラ

ひきこもりの生活保護受給者の日常。アパートの一室から呼びかけています。生活の記録。実況中継。自分語り。統合失調感情障害。

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エミリ・ディキンスンが思いのほか“ひきこもり詩人”だった

私は歴史上の詩人についてはほとんど知らず、リルケとかランボーとか詩人と言えばそのへんの人のイメージしかなく、エミリ・ディキンスンについてはこの前、初めて知った。女性詩人で「ひきこもり?」と思えるような記述があり早速図書館で詩集を借りた。

女性でひきこもりという、私にとって自分勝手な理由で興味を持ったにもかかわらず、詩がとても良かった。ひきこもりだから気になっただけではなく、ちゃんと詩も良くて嬉しかった。

私は余生は世界中の詩人の詩集を漁って生きていく。詩を読んでるうちに寿命がきて、いい感じに死ねるだろう。

エミリ・ディキンスンは1830年12月10日に生まれて1886年5月15日、55歳で亡くなっている。30代頃から家の敷地内から出なくなったそうだ。

 

情報を得るためにネットの海を彷徨っていたら、伝記映画があることを知った。

NetflixとU-NEXTで配信されていたので早速Netflixで見た。

これが本当のことなら知りたくなかった。私が勝手に作り上げていたイメージがガタ崩れしていった。

エミリ・ディキンスンの生涯。エミリは反抗的で激しい性格だけれど、友だちとジョークや皮肉を言って過ごしたりと実生活は充実していたように見えた。このジョークや皮肉がどぎつくて、かすってるというかスベっているのではないかと思うのだけれど、どうだろうか。とにかく多くのひきこもりの人のように孤立はしていないように思えた。親や兄弟姉妹にも愛されている。

セリフがかなり激しく独特なものがあり「ほんとにそんなこと言ったのかな」と思ったりもした。伝記映画だからどこまで本当なのかはわからない。皮肉の応酬や言い争いばかりでかなり疲れる内容。お兄さんが不貞して激怒し、嫌味言うとことか事実なのか? お兄さんは理解者であって仲違いしたとは知らなかった。

私がエミリ役のシンシア・ニクソンが苦手だからなのか、共感も出来ない。自分のイメージからかけ離れていたのでエミリ・ディキンスンが嫌いになりそうだった。それでもシンシア・ニクソンは、ひっつめ髪にしてかなり、エミリ・ディキンスンに寄せていっている。

話の内容は、新聞に詩が載るときには女性だからと匿名にさせられ「女に大した作品など書けない」などと言われている。反抗的だ、気位が高いなどと言っても表現者としてまともに扱われず、これでは怒りっぽくなりイライラが募っても当然では。それが反抗的だと受け止められた時代。この時代は今よりももっと女性の表現者には行き場がなかっただろう。その怒りがこの映画の全編に横たわっていて、病気になってからの描写がとても辛いのもあり、全体的にとてもしんどい映画だった。

静かなる情熱 エミリ・ディキンスン(字幕版)

静かなる情熱 エミリ・ディキンスン(字幕版)

  • 発売日: 2018/03/16
  • メディア: Prime Video
 

 

エミリ・ディキンスンの詩は大文字強調、棒線多用など独特の表現が多いと言われているそうで多分原語ではそうなのだと思うが、英詩サイトなどを見ても普通に小文字と大文字で書いてある。その辺どうなっているのかよく分からないけれど、最近借りた多分1番新しい訳詩の詩集、内藤里永子訳は大文字強調も棒線もなく、それが悪いと言うわけではないが、私が1番初めに読んだのは大分昔のもの、中林孝雄訳で、大文字や棒線を工夫して表してあるようでなかなか良かった。昔のものはと言え1986年、私が中学生の頃に出た本だ。

内藤里永子訳はKindle Unlimitedで読める。

 

内藤里永子訳

 

中林孝雄訳

エミリ・ディキンスン詩集

エミリ・ディキンスン詩集

 

エミリ・ディキンスンは、なぜ家の敷地から外に出なかったのだろう。理不尽な世の中に嫌気がさしていたのだろうか。それでもお父さんやお母さんや兄弟姉妹を愛し、愛されてもいたようだから家族といるのに慣れすぎたのではと思う。家にいても両親は怒らなかったのだから“ひきこもり”として真っ当に生きたような気もする。レバタラになるけれど生きているうちに作品が日の目を見ていたら報われただろうなと、やはり残念な気持ちになる。

 

何はともあれ、エミリ・ディキンスンの詩は宇宙的でカッコいい。

エミリ・ディキンスンとはいい出会いだった。よしよし。

ということで。

ではまたです!😝