《記録用》怖い。他人事ではない。震え上がらずにいられない。まだ私は大丈夫だなどと人の振り見て我が振り直せ的なことを思えるのは幸せな部類ではないだろうか。
主に高齢者のセルフ・ネグレクトを研究されている方が書いておられて、何が何でも“介入”したいのかなと言った感じがした。
セルフ・ネグレクトからゴミ屋敷に住み孤立死してしまう高齢者の存在。
もしも私が“介入”されたらどんなだろうと考えると嫌だなぁと思ってしまう。余り他人に生活に踏み込まれたくないし放っておいてほしいかな。それこそがセルフ・ネグレクトから孤立死に向かってダイブするようなものだけれど。
それでも介入することは難しく拒否されれば引き下がらざるを得ないそうで専門職の方々も葛藤があるのだそう。
事例を読んでいると、セルフ・ネグレクトで部屋が荒れ放題、害虫やゴキブリが出たり、空き容器におしっこをしたり、汚れた下着が散乱していたり、聞いてるだけで背筋が寒いわ。そんな私も予備軍だ。
「死にたい」「死なせてくれ」「ここで死ぬ」などとても切ないことを言う高齢者の存在は本当に悲しい。
高齢者のことしか書いてないけどセルフ・ネグレクトは若い人にもいそうな気がする。掃除は年と共にもっと出来なくなっていくのかもしれない。
私もなぜか掃除する気が起きない。部屋は荒れている。まだ重症とまではいかないと思うけどこのまま続けていくとヤバいのではないか。危うい。
なるべくなら迷惑かけずに死んでいきたいものだ。死ぬときは誰でも1人。そのときを静かに待とうと思った。
それではまた!😃