ひきこもりは一発逆転にしがみつくよりも... 言いにくいことをいうのだけど...

自分もひきこもりとしてしがみついていたことはたくさんある。それは生きてきて何一つ望みかなえられることなくあきらめさせられてきたこと。今、ネットカフェに来ていて「ギャングース」(肥谷圭介×鈴木大介)という漫画を読んでいる。鈴木大介さんの著作はいくつか読んでなんとなくずっと読んでみたいと思って読み始めたのだが、ますます自分の落としどころがわからなくなってきた。私は何なんだろう、不良でもないし、毒親糾弾が激しすぎる人にもひくし、ずうっと「どこにも自分がいない感」が激しい、激しかった。一言でただのひきこもりなんだけど私は「死にたいより消えたい」というのがわからないんですよね。この言葉には私はすごく嫌悪感を持っていて人それぞれ個々人、人によるから感覚に突っ込むことはしたくはないんだけど... まあ「どこにも自分はいない」感激しくなりすぎたら死ぬしかなくなるよ、そうやって人知れず死んでった人のことを考えると悲しいなとしか言葉はないんだ。

 

話は違うほうに走るけれどひきこもりから脱出するときどうしたらということでずっと読んでいたブログで「プライドを捨てよう、仕事は選り好みするな」と書いていた人は私より年上だったんです。ひきこもりになる事情はそれぞれだと思う。私にはこのこれがすぐには受け止められなかった。でもだんだん、その人の言ってることを受け入れるようになった。ただ自分でもいろいろもう諦めなきゃ、と思える時期になったのだと思う。インターネットには50過ぎた中年男性がIT系の求人に応募してきたことを嘲笑する記事が載ってたりする。そういうのを見るのはつらい。年齢がってことだろうけどそんぐらいだったら起業すれば...と思う。起業って言ったら大きすぎるのかもしれないけど雇われることにこだわってたら年齢は問題にはなると思う、今現在は。だからそのIT希望の男性には自分が社長になって自尊心を高めて雇う側になればと思う。その時に雇用するのはひきこもり系の人にチャンスを配るのでもいいし、まあ優秀な人を求める!でもいいんでは...と。社員一人の会社だって会社は会社なんだから、なんかやりようはあるだろうと。

それで「プライドを捨てて選り好みをしない」ということについてだけれど私が貧困問題の記事を読んだら必ず目につくコメントが「選り好みしなければ仕事はある」という反論でそのコメントを書いた人がどんな人かはわからないわけだけど、反論コメントに反論する心の優しいライターや活動家の人はたいてい高学歴で職業選択の自由みたいなことに結びつくことを言ってたりするのにものすごいむかつきを覚えていた。わかりますよ! でも... そういうあなたは...という気持ちに私はやっぱりなる。

職業選択の自由より職業差別をなくしてくれよ! 

 

...と叫ぶのは間違っているのかね。

 

私も実は本当はニートと名乗ってみたい。私の感覚だとニートって言っちゃったら徳が高い選民みたいなんだもの。選ばれし者みたいな。...うわあ... ほんとすいません、言っちゃった。ほんとごめんなさい。

 

おかしい人と思われたくなくて隠せたりするような、おかしさは、おかしくないんだろうし、私は隠しようのない変人だよ...

 

まあゆっくり働きたい。今の気持ち🔫( '-' 🔫 )