ニート界の3大聖人としてphaさん、大原扁理さん、勝山実さんを思いつくのですが、他にもまだまだ聖人はいらっしゃると思います。そもそもphaさんはニートでご本人はもう名乗っておられないと思いますし大原さんは隠居で勝山さんはひきこもりだと思いますが、細かいことはすみません。そんな、お三方の生き方、それぞれに利点があると思いますが言葉として惹かれるのは私は断然「隠居」です。
そこで問題になるのは「隠居」は女じゃないんですよね。というか「放浪」も「清貧」も「冒険」も割と女じゃないんですよね。「ニート」も「ひきこもり」も女の出る幕じゃないんですよね。男性諸氏に悪気がないことはわかっていますが肩身が狭いです。
本来「ニート」も「ひきこもり」も社会の暗い側面だったはずです。phaさんや勝山実さんはそれをPopにしてくださった。ご本人には苦悩もあると思いますが。
転じて大原扁理さんの「隠居」はどうでしょうか。多分生き方として昔からPopだったのでは。お爺さんになったらなりたい職業ではないでしょうか。
大原さんは若くして極められました。私は一言言いたい。
『私も隠居になりたい』『私も隠居したい』
私は知っています、隠居のお婆さんもいることを。
隠居見習いにならせてください。
女にもなれるんです。隠居のお婆さんのように。ただあんまり生息が分かっていません。
私はなります。私も隠居します。
隠居したらピアノを弾きます。と言いたいところですがキーボードを弾きます。
サボテンを育てます。ミニトマトも育てます。
玄関を箒で掃きます。
私の隠居に対する情熱お分かりいただけたでしょうか。
できます、私にもできるんです。
これで問題は解決です。
私は、これからこっそり生きていきます。