1つ、私が鬱になる原因として大昔のことを今でも覚えてる執念深さだと思う。
人からの言葉ややられたことのみならず自分の言葉ややったこと。忘れられない。ここから解放されないと自由になれないように思う。
嫌味でなくなんでそんな小さなことをいつまでも悩み続けるんだと(大きな出来事もないじゃないが)ここから解放されたい。カウンセリングでも行ったほうがいいのだろうか。
実は生活保護受給者の自殺率について考えている。Twitterで少し目にしたので気になっている、前々から生活保護受給者の自殺率は高いと聞いている。そうだろうなと思う。話が話だから迂闊にそのツイートを引用するのはやめたいんだけど、絶望が人を殺すとその人は書いていた。その通りだよ。
生活保護は権利だから受けてることに私は何ら抵抗はない。ないと言い切るのは良くないのかな。私の場合は生活保護になって余計に苦しくなった。
それは後ろ髪引かれながら親と縁を切ったからで、怒られるかもしれないけど(誰に...)生活保護受給前は親がある程度は援助していてくれた。甘えてると思われるかもしれないが事実甘えていた。生活保護受給しだしてからも親は時々お金を渡してくれたりお米をくれたりしている。市役所にはちゃんと言って収入認定してもらっている。はっきり言ってあやふやで決別のつかない関係。
私は親を恨んでるし許す気もないしはっきり言って、はした金すぎる金額を置いていかれてもという気持ちだけど、はした金でしか許しを乞えない親が不憫な気がしてる。
私も計画性無くお金を使ってしまい次の支給日までどーすんだとなり最近は緻密に計算して節約してるが、ひもじい。そして孤独。
今日どうしても行かなきゃと思い図書館に行って予約の本を取ってきたけどだるかった。倦怠感しかない。何もできなくなってきた。
絶望という殺人犯が私にも手をかける。
スティグマという問題は確かにある。でも私は元から障害者年金をもらっているから国のお金だからという恥の気持ちは私にはあまりない。
要するに解決できない問題を抱えすぎ問題。
これは性質なんだとある程度開き直ってきてはいる。同じような生育歴を持っていても同じようになるとは限らない。私が掃除が苦手なのはめんどくさいからだるいから。弟はこまめでテキパキやれていた。それとも私が発達障害なのかな。発達障害かもしれなくてもここまで大人になったら取り返せないものが多すぎる。
嫌だったこと恥ずかしい記憶全部忘れたい。入院中に電気ショックを受けた人がいた。ライトに電気療法と呼んでいた気がする。昔々の電気ショックは危険すぎるものだったらしいけどその頃は(20年ほど前)軽い感覚でバチっとやると嫌な記憶を薄められると聞いて私もやったらどうかと思いつめ主治医に聞いてみた。
主治医はライトに「できますよ。何日かボーっとなる感じの後、意識はっきりしてきます。嫌な記憶は薄れます」というようなことを言った。
その電気ショックを受けた子はボーっとしていた期間がやはりあって、ぽわーんと言った感じだった。だんだん意識は戻ってきていて私も「どんな感じなの?」と聞いたりして物珍しいものを見るような感じで見てしまっていて悪かったなと思う。
記憶を消していいものだろうか。
それは自分なのだろうか。
主治医は軽く「できます」と言ったけど結局私はやらなかった。やれなかった。やってもらっていたら今ごろ少しはマシな人生を送っていただろうか。今からでもやったらいいのだろうか。今の電気ショック事情は知らないしそもそも電気ショックとは呼んでないかもしれない、もうやってないのかもしれない。
記憶を消して再出発できます、みたいなことを主治医は言った。
でもそれは私なのか?
私自身はどこにいくんだ。
それは本当に私なんだろうか。