宗教の話が嫌な方は聞きたくないと思いますが日曜日二つの教会をはしごしました。午前中カトリック、夜にプロテスタントの教会で礼拝というかミサに出ました。
出るだけで私は洗礼とかも受けないと思うし入信もしないと思うのですが、ちょっとキリスト教についてググったら頭がこんがらかってきました。いろんな宗派があり大きく分けるとカトリックとプロテスタントらしいのですが一生勉強してもたどり着けそうにないくらいいっぱいいっぱいな感じなので思うままに任せてプロテスタント好きということにしながらもカトリックにも潜り込みたい、他のとこにも行ってみたい。何なら県内の教会全部行って吟味してみたい。
その中でどちらの教会でも「主」という言葉が頻繁に出てきたんですが主に使えるとか神とかなんか人間の神格化みたいじゃないですか。それって宗教のハードルがすごく高く感じてたんですよね。だけど何となくプロテスタント教会で話を聞いていて親の愛とかわかんないけど一生懸命に生きるとかわかんないけど何か涙ぐんできて生きていくために「主」を「神」を私は「天」と「空」だと変換していました。そこでスピッツの歌を思い出したんですよ!
スピッツは全盛期から好きだったけど、この歌の歌詞「大きな力」ってのが生きるって意味かなって思うんですよ。ヤバいこと言ってるって自覚あるんですよ。でも生きていくために信じなきゃならないものがあるとしたら生まれ落ちたから生きてやろうじゃないかって話です。
ダメな人間だろうとあほだろうと自分がいらない人間かどうか天に賭けて聞いてみろって話だよ。
それは私だけの話であくまで他人のことは知らないですが、つか自分第一主義でいいだろ。自分が助からなきゃ。ふざけるな、話はそれからだ。