一回病的なものに陥ったらなかなか心を解放しようとか難しい話に思えるんだけれどもニートやひきこもり、ミニマリスト界隈でよく見かける「モバイルボヘミアン」(本田直之 四角大輔)という本を2時間ほどで読み切った。
今日は午後から前の仕事で一緒だった人と会って話をしたあと図書館に行き本を借りてから教会に行ってきた。教会の教えというのは納得できないこともある。ただ知りたくて先人たちはどのようにして生きてきたのか2000年近く前から伝わる教えってなんなのか。
教会には自転車で行き遠かったけど帰りにすっ飛ばしてドンキホーテに行き、あるジュースが目的だったのだけど売り切れていたので違うものを物色して帰ってきた。
もういいだろう、常識なんてどうでもいいだろう。今日会った人は会社でひどい目にあっているそうだ。それでも... 続けるみたいで本人が決めることだから強くは言えなかった。それでいいの?という言葉は飲み込んでおいた。
本のタイトルって自分のしたいこと、求めてることしか目に入らなくなってるのだろうと思う。「モバイルボヘミアン」は有名な本だから読みたいと思って予約した本なので今日取りに行ったんだけどいい本だった。自分にはできないかもしれないけど(そう思ってしまう悲しき心は良くない)とても面白かった。どんな本でも2時間で読めるとか今まで経験ないんだけど(ちょっと飛ばし読み、流し読みはした)!
本来あるべき姿ってどんな姿だろう。
どちらにしても心が安定しないと暴風雨の中で自分は見えない。どうか暴風には止んでほしい。止んでほしいとか他人任せ(風まかせ?)なのも変なので自分で止めるしかないが。
教会に久々に行って歌を歌っていたら何か吹っ切れた。
どうにもならないことは諦めて自分の人生に集中しよう。死んでなるものか... 長生きしたいんだよ。生きることは諦めないって何か矛盾だけれど...
まあ私が書いてることは毎回支離滅裂だけど考えもうつろいゆくものです、どうでもいいやと開き直ってみると同時にどんな人間にも愛は宿ってる、クズの救済こそが宗教の役目だから。
...と締めておこう(╹◡╹)