悔い改めよ。よく聞かれる言葉。悔いてばかりじゃダメなんだね、改めて歩かなきゃ。それを「変わる」と言うのかもしれない。自分が間違ってたことを認めて謝って許してもらえなくても生きていく。悔い改めて生きる、なんて苦しいんだろう。スカッと改めたよ、許してくれるよね、テヘッっとはなれないのが業というかね。
私は野菜ジュースよりポンジュースとキリートレモンで頑張っちゃってます。野菜ジュースも嫌いじゃないんだけどね。
ほんでさ、悔いて悔いて改めるだけでもダメなんじゃないかと。謝るってなかなかできない。プライドじゃないよ、恥ずかしいからだよ。自分が恥ずかしい人間だったって認めるのは苦痛よな。まあそれがプライドだというなら、そうかもしれないけど間違ってましたと認めて謝るのは形だけの土下座よりずっと難しい。土下座しろ言われたらネタになるかもと思うし、土下座ほど直球究極の謝り方はないから、逆に真摯に謝るってどうすればと悩む。
それに喧嘩両成敗って言うように私だけ謝るのも不公平な気がしたり、だったら一生縁切ればいいのかも。
あと絶対謝りたくないって気持ちもどうしようもない。それはそれで屈辱だろうな。間違ってると思わないことを謝れと言われる。それも苦痛だね。
私は隠れるように生きてきたからファッションで言えばヤンキー風もロリータにもなろうとしたことさえないが私は隠れなきゃいけなかったので絶対に目立たないかっこをしていた。病的なことを言うが(自覚はある)見つかったら殺される、暗い世の中が怖かった。それがなぜかは今はわからないけど、わからないまま生きるのも気持ち悪いので、死ぬまでのパズルとして楽しみに生きようと思う。
意味不明瞭なことを書いてしまいました。
ヤフオクに出品しています。よかったら見ていってください。
きのうのつらら。