ネットで「見えている」事なんて一部分で「見えない」ところでもがいてる人は多いと思う。ひきこもりの高齢化という記事を最近よく見かけるけど精神疾患からひきこもり、ひきこもりから精神疾患診断され行き詰まり逃げ道もなくなってくると追い詰められると思う。
私には友達と言える友達はいないので周りで死んじゃった人とかもいない。病院で知り合った人がその後どうしてるのかは知らない。どうしてるのかな...
ニートとかひきこもりも30代くらいまでなら言い訳もごまかしも効くだろうと思う。そんなことねーよ!と反論されるかもしれないけど、だから30代までのうちになんとかしといたほうがいいよと言う説教じみたことも言えない。それは追い詰めるだけだし詰んだ状態というのは何歳であってもつらいものだ。
田舎での少数派の生き方を貫くのはハンパじゃない。昔、今一生さんの本を読んでいたら寮付き派遣で仕事しろ、そうやって家から抜け出した人は何人もいると書いてあった。それは働ける能力のある人だけの話だと思った。
毒親に悩まされてる人もいろいろで生命力からして握りつぶされてる人間もいる。寮付き派遣は私は実は1ヶ月でダメになった事があるしコミュ障には勤まらなかった。多分場所が悪かった。1人で黙々やれる仕事なら良かったのかもしれないけど1ヶ月でポシャったとこはチームワーク型だった。
何となくそれでも工場みたいなとこならいける気がした。行ってみようかなと前書いたし、でも考えてみたら人がたくさんいる中でやっていけるだろうか。昔はすれ違う人に挨拶さえできなかった私が克服できたと言えるだろうか。
ゆっくり生きていきたいのはヤマヤマだけど仲間もいなくて価値観が社会に紛れ込む事(就労)しかない。資格や技能をつけて家で仕事をできるようにして山奥に住むことも考えた。元から田舎だから少し郊外まで行けば十分、山に住める。でも保証人はどうしたらいいのだろうか。頼れる人なんていない。
最近、SNS疲れというのがあるが落ち込んでる時にネガティブなつぶやきを見たり攻撃的になってる人を見るのはつらい。幸せそうな完璧リア垢なんてフォローしないが下流同士の殴り合いみたいなのをみると、力が抜けてしまう。いつもいつもは見てないが疲れるのでスマホの電源切らなきゃと決意した。短い文章で人の悪意をみるのはつらい。短い分、言葉が強い。離れて、ちょっと頭も体も休ませなきゃ。
腰痛はまだ治ってなくてクシャミをするたびに痛むしストレッチもしてるんだけど背骨、腰骨が曲がりでもしたのか立つのがキツい。まあそのうち治ると信じよう。
最近教会に行けてないんだけどほのぼのしてるからなんか私なんか排除されそう、私なんかが行ったらダメな気がしてきてる。
心は壊れたら元に戻らない。割れた器をくっつけるのは難しい。割れたままでもいいかもしれないけど粉々な私を誰か見つけてくれるかなあ。