私は「おしゃべり」ができない。
ブログで不満書きまくっとるやんけw 確かにそうなのだが、これは文章だから「なんか変な文だな」と思ったら書き直しができるし、投稿した後も誤字を直したりできる。
あとブログだから当たり障りのなさすぎることはわたしは書かなくて(例えば朝食に〇〇食べました、のみの報告のような)スカタンひきこもり女としてひきこもりに関係のあることを書きたいと思っていた。どこどこ行って来ました、という無駄報告もありましたが。
私は特に小さい頃から喋らない子どもだった。場面緘黙だったのかなと今にして思うけど大人になったのだからしょうがない。話して騒いでいる同級生の前で固まっていた。
それと家庭が話すことが緊張を伴うものだった。それについて親は何の感知もしなかった。喋らなくても注意も怒りもしなかった。
そこで本題なのだけどある男性に「女の人はおしゃべりで発散できますよね」とメールで言われたことがあって「無理です!」とちょっと怒ったメールを返してしまった。女はと言われるのもアレだけど私にはムリなんです。
大人になって少しは喋るようになったけど喋るのって半端なく消耗するのです。
仕事の愚痴とか同僚ということはありましたよ。でも愚痴は愚痴、それ以上の何でもない。悩みとか苦悩とか知り合ったばかりの同僚に言えますか。長い付き合いだとしても苦悩とか重い話をすることは私にはできません。
またなんでも言ってよ、みたいな人に言っちゃうと軽く他人にバラされ地球の裏側まで自分の苦悩が轟き渡るという感覚に陥って怖いんですよね。
ブログであーだこーだ書いててなんだけど普段リアルの生活の私はむちゃくちゃ無口です。治らないと諦めるしかないんです。
コミュ障にはコミュ障の道しかない。克服はムリです。
多分話すことで傷ついて来たし傷ついたら元に戻すのは難しい。
だから私は文章にします。拙いんだけど言葉にするのってスッとする。手書きでもスマホでも書いてるとこんなこと思ってたんだという発見がある。
恨みも妬みも解消できないまでも消化したなという満足感がある。汚い話だけど噛み砕いて排泄物にした感じ。でも恨みも妬みも汚いものだからトイレに流した方がいいのです。そして毎日毎日湧き上がる苦悩を食べて食べてトイレに流すの繰り返し。苦悩も排泄物にならなくていい感じで体に残って栄養になるものもあるかもしれない。そうやって心はできるのではないかと思います。
書くことは考えることと言いますが私は書くこと食べて体に残すことだと思うんです。
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日に日に涼しくなって来て天候が悪くて洗濯物を部屋干ししています。寒いのにクーラーをつけているので凄く寒い😨❄️
晴れてくれ。しかし腰の痛みがひどく洗濯物を干すのが辛かった(⌒-⌒; )
違う整形外科で診てもらおうと思う。これはちゃんと治さないと大変なことになる。
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