ひきこもりポンコツメンヘラ

ひきこもりの生活保護受給者の日常。アパートの一室から呼びかけています。生活の記録。実況中継。自分語り。統合失調感情障害。

人間放棄✿人生獲得
休憩逃走中
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過去の日記がヤケドしそうなくらい熱かった

私は15才から30才くらいまで、かなり熱い日記を書いていた(30才以上になると、チラシに落書き程度のものしか書いてない)。

最近、実家の部屋の片付けに行っているけど、大分前にも片付けに行って、その頃の日記をアパートに持ってきて部屋に置いていた。そのうち処分するために1枚1枚細かく破るか、ハサミで切ろうと思っていた。

そのノートを最近になって、やっと処分することにして手をつけた。大分捗っている。夜中にビリビリ破っている。

日記の内容はと言えば、私は高校生の頃、プロ野球と大相撲を見ていたのだけど、そのことが書いてあった。選手や力士がカッコいいとかそういうこと。高校生の頃から生きるのが辛かったので現実逃避だったのだと思う。

あと今でも好きな音楽のアーチスト、誰も知らないと思うので名前は書かないけれど、その人に高2の頃、出会っていた。とても初々しい言葉で「好きになった」とか、ラジオに曲をリクエストしたとか書いてあった。

悲しい事件についても書いてあって1988年、東京目黒で中2両親祖母殺害事件というのがあった。中2の少年が両親と祖母を殺した事件だ。Wikipediaを探してみたが、その事件独立しては書いてないようだ。細かく探すと個人ブログなどには詳細が書いてある。

その事件について加害者の少年の側で考えていたようだ。物凄く汚い字で「どうしてやっちゃったんだろう」「私もやるかもしれない」と書いてあった。それを読んで言葉をなくしてしまった。そんなことを考えていたのかと目頭が熱くなる。

正直、今の少年犯罪にはそれほど肩入れ出来るほどの熱はない。またあったのかと思う程度だ。今の少年少女のはぐれ者の皆さんも、少年犯罪事件を自分ごととして読んだりしているのかな。

全然忘れていたことを書いたものを見つけて心底驚いた。

20才を過ぎた頃から音楽の話が多く書いてあった。好きなアーチストやラジオ番組について書いてある。私は深夜ラジオを聴いていた。そのことも熱く語っていた。

思うにノートは親友のようなものなのだと思う。とても人前では言えないようなことも書いてあったしマジで汗が出る。

それでも一言で言うと「きゃぴい」(私の造語。きゃぴきゃぴしていると言う意味。きゃぴきゃぴ自体が既に死語)。まさに女の子の日記だった。余り性差に縛られたくはないが今よりずっと、信じられないくらい女子だった(もう女子じゃなくておばさんです)。

人間は変わるものだし、それは良いのだけれどこんな時期があったとは顔が真っ赤になる。

あとはポエムが見つかった。20代の頃、私は作詞作曲をしていた(恥ずかしい...)。その詩を書いたのが出てきた。うわぁ(赤面)。でも詩は何個か取っておきたいと思うものがあって、取っておくことにした。自分の歴史としてそう言うのも良いと思うのだ。

それらのノートを1枚1枚ビリビリ細かく破いて捨てることになったのだけど、破いてるとき「覚えてられるかな」と寂しくなった。絶対に読んだ日記の内容は忘れる。覚えておきたいと思っても忘れる。これはもうどうしようもない。

でもそれで良いんだと思う。良いものを発見したと思う反面、辛かったこと情けなかったこと死にたかったことなども思い出した。辛いことも思い出したのだ。その気持ちはいまだに晴れていない。時はずっと地続きだ。

捨てて良かった。まだ残っているノートはあるのでこれからも破く。そしてこれからまた日記を書こうと思っている。未来になったらまた破くことになるかもしれないけど、それも意味のあることだ。それでいいのだと思う。

 

ではまた🙂