ひきこもりポンコツメンヘラ

ひきこもりの生活保護受給者の日常。アパートの一室から呼びかけています。生活の記録。実況中継。自分語り。統合失調感情障害。

人間放棄✿人生獲得
休憩逃走中
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スーツ着ないで面接行くわあ

私がスーツとかやっぱり白々しいと思う。せっかく買ったんだからと思ったんだけど、確かに買ったんだけどやっぱり私がってのはしらける。他の人のことは知らないのとそのほうが気合が入る人もいるだろうし、そこに反対したりしない。私は許してくれ。なんか間違ってる。ううん? そのうち着るよ。いつかは着るよ。逆に面接でなければ人と会うとかならむしろネタになりそうだし。違うのか。

 

ときどき反省することがある。私も笑えないお笑いとかはあったし、でも昔は笑ってたお笑いもあって暴力ネタみたいのも一瞬笑っちゃってたことあった。時代的にどうよって虐げられる人の苦しみ、それでほんとに死んじゃう人がいるのにネタだからですむのは多数派で私は外国のことは知らないけども日本に住んで日本から出たことがないと逆に日本のものしか見ないからヒカキンとかのほうが安全なのじゃないかとか思ってしまう。安全なものに毒はないかもしれないが楽しいものには花がある気がしてるし楽しいことで笑わせてほしい。

 

私が決定的にお笑いから身を引いたのは騙したうえでほんとに当人が涙を流していたのに周りはげっらげら笑ってたのを見た時だ、その瞬間からだよ。もう何十年も前のこと。社会派ネタみたいのは難しいから書きたくない。ただ嫌悪のみで見なくなった、そういう人は割といると思うし正義感とかじゃなくて本能の嫌悪感につきる。この話はやめたいのだけど嫌悪感だけはどうしようもない。そんで嫌悪感の少数派ほどキツイ生き方はないと思っています。外国のことは知らないといったけど海外ドラマやコメディも何十年前から見ているし日本にいながらだけど... どぎついのに嫌悪感を持ってる。でもそれはテレビや映画の世界で自分に関係ないとこの話として置いている。そこから離れている。自分の好きなことだけしていたら構っていられる分野じゃなくなってきている。

 

スーツは面接では着ない。私はそうしたいんだあよね。

 

今日髪の毛切ったんだよね。そのときよかったことが一つだけあって結構大柄で太った(失礼)女性に髪切ってもらったんだけど、隣の席のドライヤーの風が私にかかったんだよね、ぶちきれはしなかった。むしろその時余裕あったし別にいいって感じだったけどね。その太めの美容師さんが「あら、やら会髪の毛だからふわっと風きちゃいましたねえ。私がカバーしますね^^」逆側に回ってくれて体で風を遮ってくれた。なんかすいませんっていろんな気持ちが交差しちゃっていい人だなあって。結局2時間ぐらい待って切ってもらったのは短い時間なんだけど髪が短いからってだけだけど「帰るとき、お待たせしちゃってすみません、お疲れさまでしたあ^^」って何かぼのぼのしちゃって私が、もっかいいうけど「ぼのぼの」しちゃったの。ぼのぼのの顔に私がなっててシマリスが近寄ってきた感じ。意味わかんねw

そのいいこと探しって言うのは少しすごく大事だと思ってて。苦しい中にもたまにいいことが混じってくる瞬間が最近ぽつっとある気がしてる。昔は親切にされたら怖いっていうか何か裏があるとか私ごときにいいのにとか分裂した気持ちが駆け巡ってたけどね。今はいいこと言ってもらったら「ありがとう」って思ってる。たとえ本心からでなくてもいい言葉には『言霊』が宿るから言葉の良さだけ受け取っておけばいいの。お世辞だとしてもいいの。いいとこだけ受け取るの。

 

急に自画自賛じゃないけどもしかしたら私はマニュアルあるぐらいの店とかのほうがいいのかなって思う。人があんまり多くない本屋とかコンビニとかだとクレーマーの人が怖いとかもあるかもしれないけどそれでもマニュアルがあれば勤まるかもと思ったり、

マニュアルなしで指示もまちまちでいうことが人によって違って怒られる職場よりこうやらなきゃ決まってるからくらいのが私には合うのかなとも思う。やってみてダメならダメだったで済む話。

 

なんでもいいことに変換できるときってバス乗って降りるとき「ありがとございました」って言ったら運転手さんが「はい」って何かぶっきらぼうでも反応してくれたときとか、ちょっとだけ言葉を交わして次どこで会うかもわからないし会わないかもしれないし、まあ顔も覚えてないんだけど地元のバスだからまたどこかで、みたいな気持ちになったりもする。

 

 

私はよくわかんないがムチウチみたいな感じなのだろうか?

こういうのを首に巻いてるとちょっとだけ楽だ。

凝りがひどくて首がちぎれそうに痛いんだよな。

 

 

明日だねえ、フウ。