惣菜で生きていく。
劣等感を捨てるためにあえて惣菜で生きていく決意をしました。
私の小さい頃、母は働いていてかつ今思い返してみても料理が得意でなかったようで料理がまずいという難点がありました。母の不在時は町の弁当屋さんの弁当を弟と2人で買いに頻繁に行っていたので弁当屋さんの常連でしたが時々店主は冷ややかでした。何だか「母親は何してんだ」言葉にはしないけど、そんな態度でした。
私は不器用なのと作り慣れていないので料理は苦手なんですよね!(開き直り) 母もほとんど教えてはくれませんでしたしカレーくらいしか作れません。母が教えてくれた唯一の料理はカレーです。
私は進化を拒みます。母親が料理しない人だったから私は頑張って作るなんてことはできません。
ある時、私は村上春樹の本を本屋でパラパラとめくっていました。母親が料理しない人だったから自分は作るようになったという女の話がオシャレな会話で書いてありました。本を叩き割りそうでした。女に何の脈絡か「私は理論的なことはわからないけど」とまで言わせてました。
理論的なことはわからなくていいから飯も作るな。惣菜にしろ。惣菜だって料理だ。どこかの誰かが作ってる。例え鳥の餌と言われても(出来合いのものを鳥の餌と表現した人がいた)。鳥だって生き物なんだ。
作れない私はダメかなんてもう悩まない。あえて料理は作らない。鳥の餌をかっこみながら生きていくんだ。
筋少の「これでいいのだ」を検索したら本家にも出会った。さすが本家は素晴らしい。歌詞がいちいち哲学的すぎて意味不明( ^∀^) 声のトーンから何から何までマジ素晴らしい。