ひきこもりポンコツメンヘラ

ひきこもりの生活保護受給者の日常。アパートの一室から呼びかけています。生活の記録。実況中継。自分語り。統合失調感情障害。

人間放棄✿人生獲得
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“子ども放し飼い”お母さんの料理が不味かった件について

もうすぐ母の日なので(まだまだだけど母の日が近くなってから書くのは天の邪鬼な性質だから嫌だ(´∀`*))、母についての思い出と現在の心境を書いておきたい。

 

共働き家庭で育ったので、スーパーやお弁当屋さんのお弁当、お惣菜で育った。だから今もお弁当やお惣菜をつい買ってしまう。料理出来ないしお弁当やお惣菜が好きなのだ(甘えかな)。その反面、手作り料理に並々ならぬ憧れがある。

子どもの頃、母が夕飯の時いなくてお弁当屋さんに弟と2人でお弁当を買いに行ったら、子どもが2人で買いに来たからか、冷たくあしらわれ嘲笑されたことを思い出す。私と弟はそのお弁当屋さんの常連だったんだけれど、店主は私の母が働いていることをよく思っていなくて、私たちが頻繁にお店にお弁当を買いに行くので、意地悪な目で見られていた。40年くらい前のことだ。

辛かった。なぜそんな目にあわなければいけないのか。

そんな腹の立つお弁当屋さんのお弁当は皮肉なことに美味しかったが、たまに作る母の料理は不味かった。私の作る料理も母同様に不味い。不味いし見た目が悪い、火が通ってないとか匙加減がわからない。

血筋なのか訓練・練習不足なのかよく分からないが私は母に似てしまった。だけど母の味方をすれば母は時間がなくて料理の勉強をしてる暇がなかったのだと思う。だから私にも教えられなかったのだ。母に教えてもらったのはカレーの作り方だけだ。だから私は母不在で私が家でご飯を作らなければならないときは、カレーしか作れなかったし父もそれ以上は求めなかった。

前に図書館で村上春樹の本を手に取って、どんなもんかなぁとペラペラめくっていたら次のようなことが書いてあった。

女:私の母はあまり料理が上手くなかったから私は練習してて手のかかったものを作ってるの。

男:いいと思う。

そんな感じの会話。私はそれを読んでショックを受けた。えぇと... 頑張ったんだね、それに比べて私は... 頑張れないなと自分を恥じた。

だからと言ってその後、私は料理に励んだりしなかった。私は料理することを捨てた。

今の私は自炊をするときはたっぷりご飯を炊いておかず一品だけで食べる。味噌汁も飲まない(飲んだ方が良さげなのだけど)。おかずは納豆とか、目玉焼きを電子レンジで作る。目玉焼きを電子レンジで作るのも母譲りだ。母はフライパンを使わず電子レンジで目玉焼きを作った。どこまでも続く濃い血。笑っていられない。

だけどそれって悪いことなのか。40年前、働いてるお母さんというのは私の周りにはいなかった。主婦の隣の家の奥さんに蔑まれている母を見たことがある。今思うと可哀想だ。

母がなぜ働いていたのか、共働きしなければやっていけなかったのかもしれないし、母の2人の姉も働いていたから働くのが当然と思っていたのかもしれないが、詳しくは分からない。あの時代、働くのは大変だったと思う。頑張っていた。今でも母には不満だらけだが、そこだけは労いたいと思う。

母は子育てに全く関心がなかった。放っておいても育つだろって感じだった。実際に育ったよ。母は強く、折り合いの悪い(私の)祖父を追い出して老人ホームに入れた。オモチャなど何かを買ってもらったことはあまりない。クリスマスと誕生日にはプレゼントをくれた。それだけあれば子を育てている証になると思ったのかもしれない。

もちろん子育ては女性だけがするものではないし母だって忙しかったのだろう。

私はご飯を食べるたびに母のことを思い出す。

世間体のために結婚したんでしょって、ずっと言いたかった。だから子どもは放し飼いにしておけば良かったんだよね。そんな母を大変だったねと思えるようになったのは40代になってからだ。

だからこれからも別々に住みながら労ってはいきたい。一緒に住むのは無理だし、何も感謝してないけれど、昔みたいに尖らずに柔らかい関係でありたいと思っている。

それが母との思い出。これからも日々はまだまだ続く。

 

そんな感じで。

ではまた!😃