ひきこもりポンコツメンヘラ

ひきこもりの生活保護受給者の日常。アパートの一室から呼びかけています。生活の記録。実況中継。自分語り。統合失調感情障害。

人間放棄✿人生獲得
休憩逃走中
note

読了「置かれた場所で咲きなさい」

渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」について「置かれた場所で咲くと最悪自殺しますw」などと嘲笑まじりの感想を言う人に対して私は反感を持っていた。

自由になりたいと願うのに、田舎に閉じ込められている自分がバカにされているような気持になったからだ。ただ咲きたい場所で咲かせてくれよと思っていた。

それでも私は本を読んでいないから読んでみようと思って読んだのだけど、確かに説教くさいと言うか鬱陶しく思う言葉もある。言いたいことも言わず我慢して生きるような生き方には抑圧を感じる。

私には自分を犠牲にしてでも人のために生きる、そのようには生きられない。

けれど著者の渡辺和子さんは修道女なのでしょうがないのではないか。それに建前としてお堅い、真面目で人のために尽くすという人がいてもいいのではないか。その建前が崩れたら世の中悪くなるのではないのかと思う。

よく読めば、決して「逃げてはいけない」などとは言っておらず、文庫版あとがきにかえてで言及しているのだけれど「どうしてもここでは咲けないと見極めたら、場所を変えたらいい。その自由を奪ってはいません」「離婚や転職をして幸せになった人もいる」と書いてある。結婚や仕事から逃げてはいけないとか、決して地縛霊のようにその場所に縛りつけるような思想ではない。

何でも自分の思い通りになる、する、自分は縛られない、自分は咲きたい場所で咲くと自信満々で大手を振って生きられる人にとっては、このような本は不要だろう。嘲笑いたくなるのも無理ないかもしれない。だけど人間どうしても上手くいかないこともある。そんなときそれでも、今いる場所で頑張ってみようという気持ちを持つことはそんなに悪いものだろうか。「置かれた場所で咲きなさい」とは理不尽を生きる人への慰めの言葉に、私には思える。

自分が新しいところに行こうとしているときに「置かれた場所で」なんて言われたら怒ると思うけれど、人に押しつけるのでなければその志は崇高なものとして私は受け入れられる(教え子にも諭していたと言うから押しつけとも取られかねないけれど)。渡辺和子さんもまず自分の心構えとして言っているのだし、それを嘲笑することへの反感は本を読んでも変わらなかった。その姿勢は改められない。

ただ咲きたい場所で咲きたいと言う気持ちにも嘘はない。でもそれは現代人の特権なのかもしれない。渡辺和子さんの生きた時代はもっと狭く、抑圧されていたと思うから、そうやって生き抜いてこられたことを否定はしたくない。

自分には自分の道がある。私が今とは違う場所で生きると決めましたと言ったら、渡辺和子さんは私を祝福してくださるだろうか。してくださるに違いないと思っている。

 

ではまた🙂