ひきこもりポンコツメンヘラ

ひきこもりの生活保護受給者の日常。アパートの一室から呼びかけています。生活の記録。実況中継。自分語り。統合失調感情障害。

人間放棄✿人生獲得
休憩逃走中
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名前「○○子」

私は本名が「○○子」だから古臭いカビの生えたような名前だ。響きも好きじゃない。

ネットをやるようになってから、何度となくハンドルネームを使ってきた。そのときどき、それなりに気に入っていたし、良かったと思っている。もっと昔は、ラジオにリクエストを送るために、ハガキを書くときはペンネームで送ったし、仮の名前を使うことに抵抗はない。好きな意味を込めた名前をつけるって楽しい。

 

私は本名が気に入らない。生まれて名前をつけたときのエピソードが、くだらなくて好きじゃないのだ。

私の誕生日と父の誕生日を忘れないようにという願いを込めてつけたそうだ。くだらない! くだらない!! くだらない!!! あとは「国のためになるように」とかもあるのだけど全く国のためになってないよ、残念でした。

 

宅配の名前も郵便の名前も、実は「○○様方みひ」で受け取っている。これで大嫌いな本名を使わなくて済む。名字も実は嫌いなんだけれど、今のところはこれで受け取っている。「みひ」というのは今の名前の前のハンドルネームなんだけど、宅配の人に時々突っ込まれる。「ミ、ミヒさん?でいいですか?」「はい!(赤面) 」... いっそ本名に直そうかと思ったけれど、せっかく馴染んできたし、そのままにしている。

それでも今の名前を捨てれるかというと微妙で、長年よくも悪くも親しんで使ってきたし、これはこれでいいのかなと思うようになった。30代の頃、戸籍名を変えたいと思って調べたりしていたのだけれど実行は出来なかった。

 

私は戸籍制度が嫌いだ。戸籍は差別の元凶だ。戸籍を廃止しないと選択制夫婦別姓の意味はないと思う。私は選択制夫婦別姓には賛成だけれど、戸籍のことに突っ込んでいる人が少ないのが凄く不思議だ。むしろ戸籍がなくなれば、姓の問題は緩くなるんじゃないか。名前はどっちのでもいい(今だってどっちだっていいのだけど実際は偏っているから問題なんだろうけど)、別にするのでもいいと言う感じで。戸籍制度は倒すにしては大きすぎる敵なのか。まずは別姓にということなのか。

 

ついでに言うと皇室のMさん問題、Mさんに個人的恨みはないのだけど、もう天皇制は無理なところまで来ていると思う。天皇制も差別の温床だからね。結婚した途端に「様」から「さん」づけに変わるなんてバカバカしい。私は昔から皇室の人は「さん」づけで呼んでいる。

まぁMさんも難儀な時代に生まれたね。皇室は昔から難儀だけども。

 

私の名前は皇室好きの親がつけたから、昭和天皇の名前が1文字入ったものなんだ。弟もそうなんだわ。複雑な思いだ。もっとキラキラネームみたいのをつけて欲しかったな。

だから私はキラキラネームを笑う気は一切ない。

 

ではまた😊

 

 

 

暇を潰す才能、才能を潰す暇

中島らもの言葉だったか“(教養とは)暇を潰す才能”というのがあったと思うが、私にその才能はないみたいだ。

暇だから何かブログに書こうと思った。大したことは書けなくていい。大分退屈してきたから何かしていたいというだけだ。昼間に起きている時間が多くなり暇を持て余している。

そして暇に殺されかけるのだ。

 

貸出期間中に読めなかった図書館の本を返却して、改めてその本をAmazonで中古で買った。いい本だと思ったし、手元に置いておきたいから。定価の半額くらいで買えたので満足。狭い部屋に本は少ないほうがいい。もう買わないと言いたいところだけど、そううまくいくもんか。

高くてもKindleにあれば買うかもしれないのにな。

 

最近、玄米を食べ出した。何か不摂生極まりないから、身体の中から改造したくなった。

玄米は実家からもらった。なくなれば生協さんで買う。もらう米の種類が白米から玄米に変わっただけ。体調はいいけどもっと絶好調になりたい。もしも玄米を食べて視力が上がったりするなら、ガンガン食べるのだけどな。あぁ変なこと書いてる。

ただ玄米は水に浸す時間が長くて、炊いてる間、お腹が空いてくるのを我慢しているので、ひもじいし面倒だ。5、6時間も水に浸さなきゃいけないんだわΣ(・□・;)

玄米ご飯の味は嫌いじゃない。実家にいたときも玄米を食べていたし、美味しいと思う。

 

ではまた😛

 

 

希望を捨てろ、半分死ね。

私は自己肯定感がずっと低いと思っていた。底辺を這いずり回るとやがて上がってくるのか今時点では自己肯定感はべらぼうに高い。

ただ薬でハイなだけでは? だまらっしゃい。

最近快調なので過去の辛かったことを忘れかけている。それでいいのか。

もう2度と薬を切らさないと誓ってから落ち込んだことがない。でもそれはヤバいのでは。

落ち込んでいなくても辛いのだ。高い気分なのに目覚めたくない。ずっと寝ていたい。それって死にたいと変わらないのでは。気分は高いが元気に生きるのは難しい。ずっと高い気持ちでいるのも辛いのだ。虚しい。

どんな薬を飲んでいるのかは、病院でもらった紙を見れば分かるけれど、その効用が安全かどうかは分からない。長生きしたいと何度もブログに書いているけれど、精神薬を飲んでる人は短命だと何かで見た。そうか、別に死んだとしてもしょうがないね。

自己肯定感が高いのは気質だし、どこまでも自分を信じている。人から見たらクソみたいな人生だろうけれど、私は希望は持っている。

だけどこの希望を捨てたい。どこまでも希望を持ち続けるのも辛い。諦めたい。希望を捨てられないのが辛い。何とかなる? ならないよ。

孤独なんだ、ただそれだけ。孤独の解消がいつか出来るだろうか。自己肯定感があるから生き続けてしまうんだろ。

希望を捨てろ。そしたら心穏やかになれると思うんだ。半分死ね。

 

ではまた🙂

 

 

映画観た「レフト ー恐怖物件ー」

映画観た。

「レフト ー恐怖物件ー」。

娘1人と年の差夫婦で、ネットで調べてホテルみたいなとこに行くんだけど、これ、ホテルなのか家なのかが分からなくって、外国というかアメリカではこういうの普通なのかという疑問が湧く。家みたいなところで凄く広くて貸し出し出来る別荘みたいな感じ?

その別荘みたいなところがホラーな物件だったという話なんだけど、ケヴィン・ベーコンが渋すぎた。おじいさんのような風貌。

公開が2020年だからつい最近だけど、いい味出しながら俳優やるのって難しいだろうから、いい老け方したのかなと思った。

最近、おじいさん俳優、おばあさん女優が気になっていて、年齢が高い俳優女優のチェックをしているという年寄り的趣味がある。

ケヴィン・ベーコンも「いい感じの老年俳優」の中に入れておこう。まだ、おじいさんというほどはいってないか、すみません。

ひと回り年下の妻役は「テッド2」に出てて「ゴラム」って言われてた人。「テッド2」も面白かったけど「ゴラムの人だ」って爆笑して観ていた。

話の内容は「そんなことってある?」っていうホラーというより、怖いお伽噺や、人間の愚かさを描いてたんじゃないかな。

娘役の子役さんやケヴィン・ベーコンも驚くとき大袈裟で「ハッ」「ワッ」って声が聞こえててこれも笑えた。

笑う映画ではないんだけどそんな発見があった。

 

ではまた😌

1000記事目。

2016年12月から始めたこのブログが、今日で1000記事に達した。長かったというか、そうでもない気もするけれど、のらりくらりよく続いた。

特に何を書いたと言うことはなく、音楽の感想、映画の感想、愚痴、心配事など、主に日常をつらつらと書いただけだった。

今でも不慣れと言えば不慣れ、いつまで経っても慣れないのかもしれないが、拙い文章を綴っている。もっとうまく書きたい、そのためには鍛錬だと思うのだけれど、なかなかうまくいかない。

生活保護を受給したのは、ブログの途中からだ。公表しなければいけないのかどうか迷ったけれど、嘘を書いてもしょうがないし隠すのは難しいだろう。だから話の端っこに、ちょっと顔を出す程度には書いていいだろうと思った。

私の日記は記事とは言えない。そう大層なものではない。だから記事などと言うと、こそばゆい。

 

自分にいい表現方法を見つけたし、死ぬまでに何記事書けるかなぁと妄想している。

 

ではまた🤗

 

 

再び将棋をやってみたい。

将棋のルールは知っていた。小学生の頃、父か祖父のどちらかが教えてくれたと思うけれど、どちらだったかは思い出せない。

面白いゲームだと思った。しかし対戦相手があまりいないし上達もしないので、特にどうということなく自然消滅的に過ごしてきた。

何十年、全く忘れていた、ルールを知ってることを思い出したのは、介護施設で働いたときだ。

利用者のおじいさんとよく対戦した。おじいさんは喜んでくれた。私はいつも負けていたけど別によかった。

今は将棋アプリがあって対戦も出来るそうなので、凄いなぁと感心している。

とある将棋アプリを入れてルールを確認した後、コンピュータと対戦してみた。負けた。初心者レベルなので、私は相当弱いのだと思う。本とかネットで研究した方がいいのかもしれない。

楽しい。趣味が音楽や読書しかなかったので新しく趣味としてやってみたい。

初心者レベルというのは、まず最初にどこに打っていいか分からないのだ。介護施設でおじいさんと対戦して始めるとき、おじいさんは必ず同じところに打って始めていた。そこから始めると有利になるとか、何かあるのかなと思っていたけど聞いたことはない。

ルールは分かるけど用語が分からない。難しいわ! 覚えられん。覚えてしまえば、それなりになるんだろう。頑張ってみよう。

 

ではまた😝

今さら“くるり”にハマる

くるりを好きな人って文化系オシャレで近寄りがたい感があったり「頭良さそう」とか、かなり偏見の目で見てた。まあ実際「頭良い」んだろう、悪いわけではないけれど、そういうものを避けてゲスに生きてきた私としては、今さら「くるりっていいよね」なんて言うのはかなり恥ずかしい。

にわかですみません。まぁそういうことです。

Apple Musicで、くるりのステーションを流して日本語ロックというものに触れてみるけど、なかなかいい。これも「今さら日本語ロックか笑」ってなるけどねぇ。

でも、くるりももう中堅以上のバンドなんじゃないの。年を取ったら過去のアーチストしか聴かなくなるね、そりゃしょうがないやろ。過去のバンド扱いは酷いね、ごめんなさい。新しいものを追い続けるって体力がいるのだ。肉体労働だ。楽をしたいんだ。それを“衰え”と言うなら言ってくれ。新しいものはたまにでいい。

私が聴いてこなかった、ちょっと昔の日本語ロックをこれから聴いていくよ。

 

くるり - 琥珀色の街、上海蟹の朝

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ではまた😊