午前4時頃まで布団の中でウダウダしていて、朝、何時頃に睡眠に入ったのかが分からない。15時過ぎ自然に目が覚めて、しばらくしたらAmazonからの荷物が到着して受け取る。オレンジジュース8本を2箱頼んだら2箱が1つのダンボールに入っていて、やたら重くて運びにくかった。宅配の人に玄関に置いて行ってもらった。私「玄関に置いて行ってください」宅配さん「重いですけど大丈夫ですか?」と言われたけどまさか、そこまで重いとは思わなかった。800ml×8×2=12800mlだからなぁ。12.8kg!?!? 重いわ...
荷物を開けて早速オレンジジュースを飲んでみる。そして今日の夕食は「食べる煮干し」「チョコレート」「昆布」だった。ちょびちょび食べているとお腹が膨れてきた。でもすぐお腹が減りそうなので、あとでご飯を炊いて食べようと思う。
夜中に起きていると本を読む集中力がない。一昨日くらいに20分読んでやめた。昼に起きて読んだ方が良さそう。夜中に起きていると何もかもが面倒くさく、本当にだるい感じ。それでも生きていることには変わりがない。時間は残酷だ。楽しみがない。穀潰しと言える。
生きていても虚しい。不調を抜けて好調になったといっても、それは低空な中での好調であるだけで、ひたすら低いところから上がっていくことは難しい。もうこの俗世から身を引く時なのかもしれない。と言ったところで今まで何かに抜きん出たとこがあったあった訳ではない。ただもう俗世から抜けて生きたいという願望と、まだ大丈夫という希望の残骸がケンカをしている。それを人はプライドというのだろうか。プライドなどいらないと言いつつ自分が縛られていたけれど。
自尊心とは? 自分が尊いと思う心がない訳じゃない。私には自己肯定感はないが自尊心はある。私は必要のない人ではない。人が聞いたら異論はあるだろうけれど、私はそのことによってのみ生き延びてきた。自己肯定感は誰からももらえなかったけれど、自尊心は根深いところに埋まってるのだ。
別に生きていたって何かいいことがある訳じゃない。この先にも「ない」方に傾いて行く。人生に何もいいことはなかったし、これからもないだろう。だからと言って生きろのやめるのか、無為に死んでいくことの何が悪い。生きがいだけじゃ人は生きられないんだ。人の世はいいことばかり言いたがるけれど、夢は潰れるし希望はちぎれる。それでも生を受けたのだから生きてきて良かったと最期には言って死にたい。それは無為に生き抜いた証だ。それだけで良いのだけれど、それだけのことが贅沢だ。それでも精神的な勝ち組にならば、すぐにでもなれるのだから焦ることはない。信じられるものはそこにある。
はぁ、わけわかんねぇ。
ではまた😛