ひきこもりポンコツメンヘラ

ひきこもりの生活保護受給者の日常。アパートの一室から呼びかけています。生活の記録。実況中継。自分語り。統合失調感情障害。

人間放棄✿人生獲得
休憩逃走中
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買い物と誓い

毎日買い物に出るって結構辛い。慣れてきたけど、たまに休みたくなる。

最近よく冷凍食品を買っている。ご飯を作るのが本当にめんどくさい。ダメなやつだよ、私は。いつも私が行くドラッグストアは毎日冷凍食品が半額でとても安く買える。毎日だとありがたみがなくなるな。

冷凍パスタとか食べる。たこ焼きも買う。でも冷凍食品はそんなにお腹いっぱいにならない。かといって2個食べるのも多すぎる気がするし。

 

またつまんないこと書いたな。自己否定スパイラル。

いつもブログには、少なくとも読んでくれる方の心に響けばいいなと思って難しいけれど、心がけていた書いていた。本当に難しいわ! そんなん書けんわ! ......自己嫌悪。

だからいっそ、とことんつまらなくて、くだらないことでも書いていきたい。手は抜こう。ダメな自分を受け入れよう(えっ、受け入れてなかったの?(^◇^;))

 

短い誓い。

 

ではまたです!😛

 

寝てない

昨日夕方16時まで寝ていて、それから今日は寝てない。寝れない。また変なサイクルに入ったみたい。

 

今日は懐かしい曲ばかり聴いていた。

youtu.be

youtu.be

トムキャット懐かしい。ボーカルの人の現在の動画があった。なかなかカッコいい人のようだ。

もう新しいものを追求する気が失せている。昔はよかったねといつも口にしながら生きていくのは本当に嫌だから(槇原敬之)、でもね、もう新しいものが入らなくなってる。悲しいけど😭

youtu.be

 

最近の人ではMrs.GREEN APPLEが好きだけど。

youtu.be

 

 YouTube動画貼っただけのブログになってしまった。

あぁ何だか眠いけど寝れないんだよね。この時間を超すとやっと寝れるんだけど、いつ寝れるって基準がないから。

 

おやすみなさい、と言ってみる。

 

ではまたです!😝

 

 

 

 

【音楽鑑賞】中島みゆき/私の声が聞こえますか(1st)

中島みゆきのアルバムは「短篇集」(2000.11.15発売)あたりまでは熱心に、レンタルでなく自費で購入して聴いたんだけど以降、熱が冷めてしまい、あまり聴かなくなっていた。別に「短篇集」が悪かったわけではないんだけども、どうしてか。

思えば私の20代の終わりと中島みゆき卒業が重なった感じ。しかし卒業しても母校は母校。いや卒業なんてしてないんだ!

という訳で、昔のLP(!!)やCDなどは売ってしまっているので最近、中島みゆきのファーストアルバムをダウンロードで買った。中島みゆきは、amazon music UNLIMITEDで少し曲があるだけで音楽配信はしてないみたいなので、買うしかなかったので買った。普通の感想だけどやっぱり良かった。

 

「私の歌が聞こえますか」(1976.4.25発売)は中島みゆきのファーストアルバムで、あの有名な「時代」が入ったアルバムだ(デビューは1975.9.25発売シングル「アザミ嬢のララバイ」)。今聞いても時代的にもう雰囲気が古いのだけど、私はこのアルバムを聞いた当時から「フル...」と思っていた。思ったからと言って嫌っていたわけではない。むしろ夢中で聴いたけれど、当時小学生の私には、このアルバムが古く感じられたのだ。

この頃J-POPという言葉はなく、ロック系じゃないシンガーソングライターの曲は“ニューミュージック”と呼ばれていた。全然“ニュー”に聴こえなかったが、その古くささも好きだった。

 

このアルバムで1番好きな曲は「歌をあなたに」だ。

歌うとメロディがめちゃくちゃ気持ちいい。言っちゃ悪いが歌詞は「あなたのために歌う」以外のことを多くは言ってない。平凡と言えば平凡。みゆき様とて最初から聴く人を卒倒させるような歌詞は書いてない(どこから目線<(_ _)>)。

とにかく私は「歌をあなたに」を聴きまくった。後になってCDは売ったがこの曲はソラで歌えるくらい体に染みついていた。脳内再生が出来た。

 

「海よ」も良い。ただのメロディの好みでしかないのだけど、やはりメロディが良い。

海よ(リマスター)

海よ(リマスター)

失礼ながら、やはりあまり多くは言ってない気がする。海に呼びかけている素朴な歌でそれが良い。ついでに声が高い。この頃のみゆき様はいわゆる“力強さ”はあまりない。柔らかい、それはそれで良い。

 

「時代」は多分1番古いバージョンだろう。

時代(リマスター)

時代(リマスター)

ベストアルバムのバージョンもあるけれど、ファーストアルバムのバージョンが、1番馴染み深くて愛着がある。ギター1本の演奏で、みゆき様が自らの声でハモっているのだけど、私も声を重ねさせていただいて、いつもハモるように歌っていた。この曲の世界観は宇宙にでも繋がる勢いで、とてもじゃないけど「分かるわぁ」などとは言えない。

シングルの「時代」は1975.12.21発売で、それがこのアルバムのバージョンかどうか、ちょっと不明。ベストアルバムのバージョンは知っているけど、そちらはどうも音が壮大すぎて聴きづらい。ギター1本の「時代」は染みる。

 

みゆき様の曲はYouTubeにはあまりない。あまりYouTubeに信用を置いてないのか分からないけど、あればなぁ、と思う。

音源を買うのが怖かったけれど買ってみると繰り返し聴いてしまう。

鼻歌というより、喉を鳴らしていたら喉が痛くなった。気をつけないと...

 

昔読んだ雑誌だったか“中島みゆきは菩薩である”と書いてあった。

確かにな。そんな言葉で締めさせていただく。

 

それではまた!(╹◡╹)

 

 

 

 

延々と寝てからチーズかまぼこを買いに行って半月を見た

昨日ゴロゴロしていて多分0時頃に睡眠に入った模様。起きたら今朝の9時過ぎだった。それからまたゴロゴロして16時頃まで寝る。あぁよく寝た。何時間寝てるんだよ😓 今夜は寝れそうにないので、ドラッグストアまで夜食になるような飲み物と、チーズかまぼことシュークリームなどを買いに行った。ちょっとした贅沢で久しぶりに食べる。帰り道、空に半月が出ていた。これも久しぶりに見た。それもあって寝過ぎたのは良くなかったけど気分は良い。

今夜は本を読んで過ごそうと思う。読みかけの本がある。図書館に早く返さなくちゃいけないので速攻で読もう。

寝過ぎた後は眠れないのだけど、眠れないときって辛い。それこそ本を読んだりしてればいいのだけど、本を長時間読み続けるとかって根を詰めすぎだし、人によるだろうけれど私はそんなに長い時間、本は読めない。10時間くらい読めたらすごいと思う。そうできたらいいなと思うけど。

瞑想の本とか前、読んだけど、体勢を整えなきゃならないみたいだし、本によると座ってやっていて(座禅?)、私の部屋は布団の上しか自由に座る場所がなくて、しかも布団の上に物が置いてあって異常に狭い(どういう状況だと訝しがられるかもしれないが説明は難しい)。これでは瞑想ができない!😭 だけども最近部屋が片付きそうで(“そう”ってどういうこと)、安心で気分が軽くなってきている。それはまぁ置いておいて、でも瞑想って効くんだろうか。よく布団の上でお腹か胸に手を当てながら、目を瞑り考えごとしたり“無”になろうとしたりして、失敗ばかりしているのだけど。あぁ布団の話ばかりですみません(^◇^;)

 

別の話。

詩の朗読動画作りたい。前、はてなの別アカウント作って(その時は複数ブログがしたくてもお金を払いたくなくて苦肉の策...)、詩の朗読のブログ作ったんだけど、続かなくなってね😭 その時1から始めようと思って、YouTubeに朗読用のアカウント作って、自分でこっそり朗読を録音して公開してたのだけど、それも続かなくなった。

それでYouTube新しくアカウント作るか、今あるのでやるか迷う。今あるのでやればちょっとは登録してくれる人がいるから、聞いてくれる確率も高いだろうと思う。でも朗読ってジャンルでは、登録解除されそうで怖くて、ただの怖がりじゃ何やっても続かないのだけど、そこんとこ考え中。

ツイキャスも以前やってたけど、思うがままに喋れなくて、これも続かなくて😭 何やってもダメじゃん🙅‍♀️🙅‍♂️

演劇的とか詩的に台本があることを発声するのがいいと思うんだ。ただ勇気がいる。小心者の私にはハードル高すぎ。

でもつべこべ言ってないでやったほうがいいんだよね。

 

そんなことを考えています。

ではまたです!☺︎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

眠りだけが幸せ(睡眠はいいぞ)

眠りから覚める、起きるときが辛いということは、前にブログ内で書いたことがあると思うけれど、睡眠中は幸せで、睡眠が切れたとき、また苦しい時間を過ごさなきゃいけないのかと思ってウンザリする。

嫌な夢を見るときもあるけれど、全体的に寝ていると気持ちよく天国なのだ。雲の上でふわふわ寝ている感じ。起床して“戻ってくる”と地獄の感がある。

起きているとき何とか垂直に立っていられる時間は計1時間もないだろう。買い物に行ったりしてるとき立っているだけだ。

部屋では布団に寝転んで何もかもやっている。寝ながら本も読み、音楽も聴き、ときにはノートに字も書いている。さすがに書きにくい。DVDも寝転びながら見る。ポータブルDVDプレーヤーを寝転んで抱えながら見ている。もちろん、スマホでブログも書く。軽いお菓子などなら寝て食べる。これは喉が詰まる恐れがあるのであまりやらない。飴も寝て舐めていたがやめた。さすがに飴を喉につまらせて布団の上で死んだりするのは嫌だ。とにかく布団の中で何もかも完結する。

 

ずっと寝ていたい。起きたくない。睡眠はいいぞ。死にたいと紙一重な物言いだけど。実生活で生きている感覚が気持ち悪い。

生きている実感がほしい。寝ているときも生きていることには間違いないけれど、早く真人間になりたい。

 

ではまたです!😛

 

 

 

 

エミリ・ディキンスンが思いのほか“ひきこもり詩人”だった

私は歴史上の詩人についてはほとんど知らず、リルケとかランボーとか詩人と言えばそのへんの人のイメージしかなく、エミリ・ディキンスンについてはこの前、初めて知った。女性詩人で「ひきこもり?」と思えるような記述があり早速図書館で詩集を借りた。

女性でひきこもりという、私にとって自分勝手な理由で興味を持ったにもかかわらず、詩がとても良かった。ひきこもりだから気になっただけではなく、ちゃんと詩も良くて嬉しかった。

私は余生は世界中の詩人の詩集を漁って生きていく。詩を読んでるうちに寿命がきて、いい感じに死ねるだろう。

エミリ・ディキンスンは1830年12月10日に生まれて1886年5月15日、55歳で亡くなっている。30代頃から家の敷地内から出なくなったそうだ。

 

情報を得るためにネットの海を彷徨っていたら、伝記映画があることを知った。

NetflixとU-NEXTで配信されていたので早速Netflixで見た。

これが本当のことなら知りたくなかった。私が勝手に作り上げていたイメージがガタ崩れしていった。

エミリ・ディキンスンの生涯。エミリは反抗的で激しい性格だけれど、友だちとジョークや皮肉を言って過ごしたりと実生活は充実していたように見えた。このジョークや皮肉がどぎつくて、かすってるというかスベっているのではないかと思うのだけれど、どうだろうか。とにかく多くのひきこもりの人のように孤立はしていないように思えた。親や兄弟姉妹にも愛されている。

セリフがかなり激しく独特なものがあり「ほんとにそんなこと言ったのかな」と思ったりもした。伝記映画だからどこまで本当なのかはわからない。皮肉の応酬や言い争いばかりでかなり疲れる内容。お兄さんが不貞して激怒し、嫌味言うとことか事実なのか? お兄さんは理解者であって仲違いしたとは知らなかった。

私がエミリ役のシンシア・ニクソンが苦手だからなのか、共感も出来ない。自分のイメージからかけ離れていたのでエミリ・ディキンスンが嫌いになりそうだった。それでもシンシア・ニクソンは、ひっつめ髪にしてかなり、エミリ・ディキンスンに寄せていっている。

話の内容は、新聞に詩が載るときには女性だからと匿名にさせられ「女に大した作品など書けない」などと言われている。反抗的だ、気位が高いなどと言っても表現者としてまともに扱われず、これでは怒りっぽくなりイライラが募っても当然では。それが反抗的だと受け止められた時代。この時代は今よりももっと女性の表現者には行き場がなかっただろう。その怒りがこの映画の全編に横たわっていて、病気になってからの描写がとても辛いのもあり、全体的にとてもしんどい映画だった。

静かなる情熱 エミリ・ディキンスン(字幕版)

静かなる情熱 エミリ・ディキンスン(字幕版)

  • 発売日: 2018/03/16
  • メディア: Prime Video
 

 

エミリ・ディキンスンの詩は大文字強調、棒線多用など独特の表現が多いと言われているそうで多分原語ではそうなのだと思うが、英詩サイトなどを見ても普通に小文字と大文字で書いてある。その辺どうなっているのかよく分からないけれど、最近借りた多分1番新しい訳詩の詩集、内藤里永子訳は大文字強調も棒線もなく、それが悪いと言うわけではないが、私が1番初めに読んだのは大分昔のもの、中林孝雄訳で、大文字や棒線を工夫して表してあるようでなかなか良かった。昔のものはと言え1986年、私が中学生の頃に出た本だ。

内藤里永子訳はKindle Unlimitedで読める。

 

内藤里永子訳

 

中林孝雄訳

エミリ・ディキンスン詩集

エミリ・ディキンスン詩集

 

エミリ・ディキンスンは、なぜ家の敷地から外に出なかったのだろう。理不尽な世の中に嫌気がさしていたのだろうか。それでもお父さんやお母さんや兄弟姉妹を愛し、愛されてもいたようだから家族といるのに慣れすぎたのではと思う。家にいても両親は怒らなかったのだから“ひきこもり”として真っ当に生きたような気もする。レバタラになるけれど生きているうちに作品が日の目を見ていたら報われただろうなと、やはり残念な気持ちになる。

 

何はともあれ、エミリ・ディキンスンの詩は宇宙的でカッコいい。

エミリ・ディキンスンとはいい出会いだった。よしよし。

ということで。

ではまたです!😝

 

 

 

 

 

 

書庫が欲しい

読んだ本の内容ってすぐ忘れてしまう。忘れたものはしょうがないし、読書ノートをつけるのがめんどくさい性質なので(これはこれでアカンが個人的には読書ノートをつける意味がわからない、流れるように忘れるのも悪くない)読み返したいときに読めるように、本を置いておける書庫が自宅に欲しい。私の部屋(自宅)は6畳+ロフトだ。ロフトに本をあげるのがめんどくさい。それに本はたまると重いだろうし、ロフトにあげるのは危険な気がする。実質6畳に本を置くのは狭すぎる。

世の中には自宅と違う場所に書庫を構えている人もいるそうだけれど羨ましい限りだ。図書館が自分の書庫だと考えることもできるけれどやはり歩いて行かなければいけないのは遠いし、いつも好きなときに読めるとも限らない。

広い家に住めたら書庫とまではならずとも本を置く場所ができるのだけど。まぁそれも夢のまた夢。貧乏人として何とか生きてゆかなばならぬ。書庫以前に本を買うお金がない。今のところそんなところ。図書館行ってくるぞ。

 

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行ってきたぞ。

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