映画観た。
「ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習」。
どこを切っても不謹慎。不謹慎ギャグをぶちかます。差別、差別うるさいな、という人には受けるのかもしれない。
こういうの好きで笑える人って「頭柔らかい」のかね。そんなもんいらん。私は頭硬いんだ🪨
こういうジョークかぁ、世知辛いね(o_o)
人に勧めにくいし、知り合いの誰かが「ボラット、面白かったよー」なんて笑顔で話してきたら、縁切りたい。
ふと、でも、と考えてみて不謹慎な言葉、差別ジョークが全部なくなることってあるのか。私は誰も差別しないのか。それは本当? 自分は差別されたくないけれど、人を差別したい気持ちは、心の奥底に潜んでいるんじゃないか。そこから私も逃れられない。
ボラットの行き過ぎ感に、嫌気が差しているうちに感化されないようにしないと。
女で障害者としては「ボラット」で傷もついて、目を背けたい、知らないふりでいたい。でもそういうわけにはいかないよね。
そのほかの不謹慎ネタもかなり酷い。
人種差別、同性愛差別など...。
「ボラット」を面白い、過激なことをやるのがカッコいいと思う、そういう人がいる世の中に生きているのがつらい。差別を笑いの布で被せようとするのは悪どいと思う。
ただそれだけ。
笑いが分からないクソマジメ女でした。
ではまた😌