ひきこもりポンコツメンヘラ

ひきこもりの生活保護受給者の日常。アパートの一室から呼びかけています。生活の記録。実況中継。自分語り。統合失調感情障害。

人間放棄✿人生獲得
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統合失調感情障害について。

統合失調感情障害は統合失調症の偽物みたいな感じだと思っていたが、ググったら2つに関連はありそうで統合失調症の症状と気分障害の症状の両方が同時にあらわれる病気のことらしく、統合失調症の兄弟姉妹みたいなやつなのか?微妙に違うようだ。

私は妄想が原因で実家で大暴れしたことがある。今、考えても恥ずかしい。そのせいで実家と距離を置いていると言っても過言ではない。もはや毎日、父母と顔を合わすのは恥ずかしさ極まる。

その妄想は今でも手放していない。もしかしたら、やはりそうなんじゃないかと思っている。これは病気だと思いながらも、それに反して信じているのは病識がないというやつだろうか。それでも病気の可能性があると思えるようになったのは進歩した。それまで病気なのではと全く思わなかったのだ。

統合失調症や他の病気も経験したことがある人の手記などで、妄想は“自分を守るための妄想”だったという話をよく読む。私も妄想にくるまっているようなものだ。暖かい毛布のようなもので、あるのが心地いいのだ。

実家で何度も大暴れした挙句、病院で何回も医師に訴えて否定されたので、今の時点では妄想のことは他人には言っていない。引かれたくはない。医師にも言っていない。昔は言えるような関係にある人は親と医師以外にいなかったが、自分が間違っているのかもしれないと薄々感じていても、呆れた顔、怒った顔、バカにした顔で、否定されるのは、屈辱だったし悲しかった。

薬では良くならないようだ。一時期、薬を完全に抜いていたことがあるけれど、その“妄想”はなくならなかった。1人で抱え込むだけ。程度の差こそあれ妄想が消えることはない。むしろ薬を抜いた状態でもまだその“妄想”がこびりついていることで、やはり病気ではないのではと考えた。薬を飲んでも飲まなくても消えないものは消えない。

今も私の中には“妄想”は眠っている。時折ふと目を覚まし、これからも消えてくれそうにない。一生付き合っていくのだ。

私が薬を飲むことに今でも抵抗しているのは、私の症状が幻聴や幻覚ではなく“消えない妄想”だからだ。確かに体は薬に慣らされた。飲まないと憂鬱になるし体が痛い。でもそれは「本来の私の症状」とは別のことだ。現在進行形で妄想は消えていない。大声で泣いたり叫んだりしないのが症状がなくなるということならば薬は効いている。泣いたり叫んだりしないのは薬のおかげだろうと思う。

人間の脳は不思議だ。事実でないことを事実と思わせる。でも私は事実だと思っている。生きているのが嫌になる。死ぬまでこうなのか。死ぬときになって「あれは間違いだった」と言って死んでいくのを考えると自分の頬を張り飛ばしたくなるが、「やっぱり本当だったんだ」と言って死んでいくとしたら私は救われるのだろうか。

死んだら思考もなくなる。それをじっと待つしかないのだろう。

 

ではまた🤭