ジェフ・バックリーとティム・バックリーのことを考えていた。
ジェフ・バックリーは結婚内の子ではなかった。父、ティム・バックリーに会ったことは2回だけ、それなのに父親と比較される。そのことに苦しんだみたいだ。
ジェフの声が、父、ティムから受け継いだものだとしたら、歌うことについて自分の声をどう思っていたんだろう。
自分の声を嫌ったりしなかったのだろうか。歌うことがつらくはなかったのだろうか。父親に似ていると言われ複雑だったろうと思う。
ジェフ、ティム、2人とも若くして亡くなって、残された者としては「いい声だな」と思うほかはない。
声って親に似るよね? 私も声は親に似ている。それが苦しいこともある。容姿や気質もそうだと思うけれど、声も人を継ぐものだよね。
一時期、親のことを考えるだけで、頭がおかしくなるくらいの怒りを抱えていた。精神のバランスが崩れて、部屋で大声で、空間に向かって1人で叫んでいた。何もかも、似ているというだけで、叩き潰したい衝動を抑えることが出来なかった。だけど、もういいんだ。
人の体ではなく、カプセルの中で生まれたのだと、そうであってくれと願うことでバランスを保てるようになった。それは年を重ねたからかもしれない。諦めかもしれない。
“絆”だなどと名づけるのは人間だし、家から生まれたのでない、そんなものは取っ払い、宇宙の片隅で人類の末端として生まれただけなのだと思うと、誰から生まれただのと悩むのがバカらしくなった。
親の子としてではなく、人類の末端として生まれたのなら、私には生まれた意味があったと思う。
バカらしく思っている。私は本当は、自己肯定感が高いだけの人間かもしれない。親を憎んでも、人間のことは愛するのかもしれない。世界を呪うには小物すぎたのかもしれない。
いずれは、カプセルの子も消え失せる。それでも私はカプセルの子として、消え失せるまで生きてやるんだ。
私の声は耳の2cmくらい内側から、頭を支配しているようだ。宇宙の末端が拡声器を使って、頭に響いている。
私の声は最前線だ。宇宙の最先端だ。私がそこに生きているのだから。
今日は声をあまり発していない。外界の私は無言で生活している。でもこの文章は、頭の中の声が指に伝わり文章になった。
ではまた😊
Tim Backley - Song to the Siren