宇宙の起源と祖先について考えていたら悩みが消えていく感覚があった。
先日、用事があって実家に行った。そのときに、自分の曾祖母さん(ひいおばあさん)の写真を、見ることができた。
父のお母さんの、お母さんだ。
父に他の(私の)曾祖父、曾祖母の写真はないのかということや、何かエピソード的なことはないのか聞いたが残念ながら分からなかった。写真で確認できたのは、父の母親の(私の)曾祖母だけだった。見せてもらったのは父の親類の写真で母方の曾祖母や曾祖父はいなかったが、いろいろ写真を見せてもらった。主に父の若い頃(小学生から高校生)の写真だ。
なかなか、深いことまでは聞けなかったが、写真を見ることができて感慨深いものがあった。写真を見るに顔が変わってる? 面影がない? 変な顔!と言う感想。不思議な感じだった。
写真があるのは父のものだけだった。昔、母の子どもの頃の写真も見たことはある。父のことも母のことも、もう憎んではいないのだけど、複雑な気持ちだ。
その日は実に、スッキリした1日になった。曾祖母の写真の感想は「うーん、こんな感じなのか...!?」といたって普通。似てると言えば似てないこともない。
祖父(父の父)の若いときの写真も見た。祖父の面影があった。昔から眉が濃かったんだ。写真の中の、私のいない世界はどんなだったろう。
生まれてきたくなかったけれど、私は血というものについて考える。私も命を、気が遠くなるほどの人の血を、継いできた。
もっともっと遡って私の何十億年前の先祖は、どこにどのような形でいたのだろうと考えてみれば、不思議でクラクラしてくる。
悲しみの前で生命の神秘は軽い。その軽さも必要なのではないかと思う。望まれて生まれたわけでなく、ただ生まれただけの方がいい。生まれなかった私などいないのだ。そのことを引き受けて、自然消滅するまで、生きてやろうではないか。
そんなことを考えている。
ではまた!😛